白いダリアと蒼い薔薇 波 4
「……ん…………?」
ぽや、と目蓋を開けると、朝日に照らされた部屋が見えた。
結局眠気に耐え切れず寝てしまったのだろうと判断してからハッと昨夜の出来事を思い出し、身体に何も異常が無いことに安堵する。
睡眠時間が大幅に足りていないせいでとにかく眠いのだが、そこはまあ、妥協するしかない。
「……7時……」
上半身を起こし壁の時計を見ると、朝の時間帯だった。
てっきり昼にでもなっているかと思っていたので意外に感じて、瞬きをする。
ふと、先程からまわりで言い争う声がするという事実に気がついた。あまりの眠気でシャットアウトしていたらしい。
「御揃いって言ってるでしょ、カール!私とは一緒にいるんだから、一緒じゃなきゃ嫌」
「ですがディーヴァ、御揃いがいいのであれば、新しいものが沢山用意できますよ。それではいけないのですか?」
「『私のと』同じがいいの。……ネイサンを呼んで」
「そんな……!……わかりました……」
「やったあ!ネイサンね、一昨日言ってたの、――、――……」
ディーヴァとカールが何事かについて言い争っているようだった。
御揃いがどうとか聞こえたが、途中から聞き始めたせいで内容がさっぱりわからない。
話しながらカールはしょんぼりと、ディーヴァは踊るように部屋を出て行ってしまったので、その後の会話も分からず仕舞いとなった。
何故かネイサンが呼ばれることになった様で、朝から大変だなあ、と他人事のように考え、片付ける。
しかしそれは大きな思い間違いだったらしい。
昨夜の事を心配されながらアレンの持ってきた朝食を食べていると、ソロモンに案内されてネイサンがやってきたのだ。
それがなんともおかしなことに、の部屋に。
「もう、びっくりしちゃったわよ!
ディーヴァったら朝から『に自分と御揃いの服を着せる』って言い出して聞かないらしいじゃない?
新しいドレスだったら、あたしがた〜っぷり持ってきてあげたのに、困った子よねえ」
「そうなんですか……」
「ま、彼女のお願いならなんでも叶えてあげなくちゃね。さ、ぱぱっと採寸しちゃうわよ!」
「はあ」
「でもその前に一応、ディーヴァ用の色違いをそのまま着てみてくれないかしら?
前に作らせたのなんだけど、なんだかイメージと違ったのよねえ」
「……わかりました」
とにかく早く終わらせようと、深緑に黒のラインが入ったワンピースを試着する。
ベトナムで貸してもらった服も、こんな風に余っていた服の一部だったのかもしれない。
某ファントム並みに奇抜でなければそこまで服装に拘りはない性質なので、あとはネイサンのセンスを信じるだけだ。
「ああ、いい感じ。は日本人だから、こういう色の方が似合うと思うのよね!この方向でいきましょ。
ディーヴァより背も低いから、丈は短めにしておこうかしら。
……あら。胸の方のサイズも小さめに仕立て直さなきゃならないじゃない」
「…………」
その後お昼過ぎになって、深いカーキに生成りのラインが入った丈が短めのワンピースが届いた。
ディーヴァがおねだりしたとおり、色と丈と……胸囲の違いは大いにあれど、ディーヴァの薄水色に群青のラインが入ったそれと同じデザインに仕上がっていた。
あまりの仕事の速さに驚いたが、きっとディーヴァが同デザインの服を気に入りすぎて生産ラインが出来ているのだと思い込むことにする。
でないと、豪奢な生地やつくりに遠慮して着られそうも無かった。
「わあ……素敵!すてきよネイサン!ありがとう!」
「どういたしまして。そう言ってもらえると、頑張ったかいがあるわ」
「カールもありがとう。私のお願いをこんなに聞いてくれるのはカールだけよ。大好き!」
「……っ、ディーヴァが喜ぶなら、当然です……!」
「あらあら仲良しねえ。じゃあ、あたしは仕事があるから、失礼するわ」
「…………(ねむ、)」
出来上がった服を着て最上階を訪れたを出迎えたディーヴァは、ひとしきりはしゃぐと上機嫌で歌いだした。
だからそれ、眠くなるんだって!……なんてディーヴァ相手に言えるわけも無い。
睡眠不足との素晴らしい相乗効果のおかげで、の意識は羊を数える牧場への道半ばでストンと途切れてしまっていた。
が再び目覚めた……と言うより、意識が浮上した時、硬い床の上で横になっているのを感じた。
すべすべしてひんやり冷たいそれが寝起きの肌に触れると気持ち良く、ごろんと寝返りをうつ。
しかし何故か片腕は床につくことなく、だらんと揺れるのみだ。
「……?」
疑問に思ってその手を彷徨わせていると、腰にまわった誰かの腕によって後ろに引き摺られる。
そこでようやく周りの状況が理解できて、は心臓が跳ねるかと思うぐらいビクついた。
「!?!?」
の現在地は、庭園にそびえるアーチの上だった。
初めてこの庭園に来た時に連れて行かれた柱の上よりは低いだろう。けれど、落ちれば惨劇が待っているという意味では恐ろしさは変わらない。
むしろ、今の今まで誰にも支えてもらわない状態で寝こけていた、という事実がある分、今回の恐怖は半端無く大きかった。
衝撃に硬直するの目の前を、放られた人形が弧を描いて落ちていく。
次いで大きく引き寄せられ、向かい合うようにディーヴァの上に乗せられても、身体の強張りが解けることはなかった。
の頭を撫でながら楽しそうに笑うディーヴァがその身を震わせても、動く気が起きない。
寿命が軽く五年は吹っ飛んだのではないだろうか。
しかし過度に緊張したその状態でも、傍のディーヴァの発言は驚くほどすんなりと頭の中に入ってきた。
「あのね。……欲しいものができたの」
も早く会いたいわよね、と問いかけられて何のことか理解する。リクだ。
ディーヴァはやっぱりリクを求めている。……ただし、自分のシュヴァリエとして。
「そう。あの子が……欲しいの」
が何もしなければ……存在しなければ、リクは小夜のシュヴァリエであるはずだった。
その違いは巡り巡ってどのような変化となって現れるのだろう。はたまた、それだけでは何も変わらないのか。
少なくともにとっては良い結果になるように、努力してきたつもりだ。
報われるかどうかはその時にならなければわからないけれど、そうなるようにできる限りの事をしたい。
アーチの上で一人取り残されたは、飛び散るガラスを遥か下に眺めながら、いまだ硬直していた。
本当の意味での助けは、当分来そうになかった。誰か降ろして。
善は急げ、とばかりに、ディーヴァとカールは「ちょっとお出掛け」することにしたらしい。
ディーヴァなどは衣装庫からとっておきのドレスを持ってこさせてそれに着替え、お馴染みファントム衣装のカールに見守られながらくるくると踊っている。
やっと降ろしてもらえた地面で華奢なガーデンチェアーに腰掛けながらそれを眺めるは、一つの考えを実行に移そうとしていた。
即ち、単純な時間稼ぎである。
ディーヴァのテンションの上がりようを見るに、流石にお出掛け自体をやめさせることは出来ないだろうと思う。
だがもし、この時点で二人を少しでも引き止められたら……
あわよくば二人の行動の抑制ができそうなソロモンを引き込めたら、赤い盾の皆さん側の被害が減らせるかもしれない。
……ソロモンにとって大事なのは赤い盾の中で小夜だけだから、彼女の出方によっては逆効果である気もするが。
ともかく、話が通じそうである。これは結構重要だと思うのだ。
「……ねえ、ディーヴァ」
「なあに?」
「髪を結い上げたりとか、しないの?」
「え?……ああ!そうねえ……でも、ネイサン帰っちゃったし……」
「そっか……」
アニメとは違い下ろしたままの髪を見て質問したのだが、流石にカールに髪結いは出来なさそうに思える。
ではこれは時間稼ぎにならないか、と諦めかけた時、そのカールから意外な声が上がった。
「ディーヴァ。適任の者を知っていますよ」
「えっ?」
「じゃあおねがーい!」
彼にそういう知り合い(もしくは部下)がいることが素直に驚きである。
ディーヴァが言うように、ネイサンなら服飾系のコネや伝手が数え切れないほどありそうだが、カールのファッションセンスについていける人がいたとは……
が結構失礼な考えでもって感心しているうちに、カールはその人物に連絡を取っていた。
「……私だ。ディーヴァのヘアアレンジを頼みたい。……何?夕飯の買出しだと?今日はいらんから問題ない。
…………まだ奴等がいるのか!いい加減に追い出せ!…………とにかく急ぎだ。場所は…………ああ、わかっている。」
「……」
夕 飯 の 買 出 し 。 これは物凄い言葉を聞いた気がする。
夕飯って。夕飯ってアレですよね。ブレックファースト的な意味でのディナーということですよね?
しかも「今日はいらん」ということはですよ。エブリデイユウハン!ということでOK?
……ちょっと自分でも何言ってるのかわからないけどつまりはそれぐらい動揺しているということだ。カールが謎キャラ過ぎてつらい。
そうかシュヴァリエだからか。うんうんそうだよね。なら仕方ないよね。
「……?な、何、ディーヴァ」
気付けば連絡は終わっていたらしく、カールは割れた窓ガラスの直ぐ横に立っていた。
はガラスの境界無しに街並みを見下ろす彼をなんとなしに眺めていたのだが、不意に、その背後に立ってこちらを振り返り手招きする笑顔のディーヴァに目を留めた。
何か外の風景に面白いものでも見えるのだろうか。
ちょっとした好奇心で椅子から立ち上がり歩み寄ったの両肩に、ディーヴァの両手がぽすりと置かれる。
その状態でずずいと後ろに押されるので、バランスを取ろうと足が自然に2、3歩後退る。すると、もう一押しされる。また、後退る。そして更に一押し……
強制的なバックオーライ状態に陥ったは焦りつつディーヴァの腕を緩く掴んだが、どうすることもできない。
「じゃあ、行きましょうカール。ゆっくりしてたら日が暮れちゃうわ」
「えっ、ちょ、ディーヴァ?何、して」
「……ディーヴァ、その『お人形』は置いていかないのですか」
「ええー、いいじゃない。きっと楽しいわよ。それに……あの子はも欲しがってたし」
行くって、どこに?
きっと髪を結ってくれる人の所だろう。そしてその後、新たな幼い騎士のもとへ。
何となくはわかるが、わかりたくない。主に、そこまでの移動経路について。
ついに、とん、と背中同士が軽くぶつかった。と、カールの背中である。
尚も押され続けるの身体は、もうこれ以上進まない。カールだって床の際に立っているのだからそれは同じ筈だ。
だというのに彼の身体は間接的にディーヴァに押されるままに傾いでいく。
徐々に視界を占めていく天井のガラスの向こうの蒼でそれを理解した時、背に当たる感触が突然、ごつごつとした硬いものに変化した。
「え、え、や、こ、これ、おち、落ちっ!?」
『…………わかりました』
いつの間にかの身体の上にディーヴァが圧し掛かる形になっており、挟まれたは狭い隙間の中でなんとか腕を折り畳む。
加えてディーヴァの両手がカールの方へ伸ばされてしまったので、慌てて自身の両手でもってディーヴァの両肩を掴んだ。
だがその時既に三人の身体はあらぬ角度でもって割れたガラスの外へ出て、……自由落下を始めていた。
「ひ、っ…………!?」
人間、いざビックリすると思ったより叫べないものである。
叫ぶどころか一気に血の気が引いてしまったは、必死で目の前のディーヴァの首へ腕をまわしてしがみついた。
しがみつくと言うより硬直していたのでかなりぎゅうぎゅうと締め付けていたのだが、ディーヴァから不満の声が漏れることは無い。
逆に愉快そうにくすくす笑う声が、意識と共に遠く小さくなっていった。
『何?ディーヴァが?……カールはどこにいる』
「彼もいません……もいないので、扇動したのはディーヴァでしょう」
『…………』
大体の事情を察したアンシェルの溜息を電話の向こうから受け取りながら、ソロモンは壁際の惨事を見つめた。
痛々しく割れたガラスが散乱し、その上にはミュールが一足、無造作に転がっている。に与えたものだ。
まるで自殺か事故現場のような状況だが、そんなものより遥かに面倒な事態が起こる予感がする。
こんなことになるぐらいなら役員会議になど出なければよかった、などと無意味な後悔をしそうになりつつ、
それらをひっくるめて押し殺し、ソロモンは主の捜索を開始した。
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