白いダリアと蒼い薔薇 波 3












観光帰りにカイとイレーヌの二人に遭遇した、次の日。

は全身を襲う痛みに耐えかねて、あれだけおさらばしたいと思っていたベッドの中に逆戻りを余儀なくされた。


「うぐう……いたい」


何のことはない、動物園で負った傷が癒え切らないままに一日中パリ観光をしたからに決まっている。

憂鬱な安静期間で大体が落ち着いてきていたところで街を歩き回ったものだから、そりゃもう治るものも治らない。

それでも傷自体は癒えていたらしいので、目下、の苦しみは所謂筋肉痛が主だった。

ぐああ、と不気味に唸るを初めは少し心配していたソロモンも昼頃からは仕事に戻っていて、ここにはいない。

大人しく寝る以外に特にできる治療もないので、アレンさんも昼が終わってからは研究室に篭りきり。

そして退屈さを読書で紛らわせていたが、やっとうつらうつらし始めた時に限って、隣の部屋で大騒ぎが起きるのである。


「!?」


隣室から響いた物音に本から顔を上げて気付いたが、空はもう茜色に染まっていた。

何時間か前に短編小説の本を貸してくれたソロモンは、今まさに隣の執務室にいる筈だ。

だとすれば、先程の何かがぶつかり合うような不穏な音の出所はソロモンということになる。


この階の造りは結構頑丈で、普段は隣室の話し声はおろか、扉の開閉音さえもほぼ聞こえない。

なので相当くぐもっていたとはいえ物音が響いてきたと言うことは、隣室ではかなりの大騒ぎになっているのではないだろうか。


「ソロモン……?」


まさかソロモンに限ってテスト前の学生のように急遽模様替えを決行したりはしないだろうし、

何かに躓いてこけるなんていうウッカリ属性も持ち合わせていないだろう。

なら、今の音は一体何だったのか?


「…………ひゃっ!?」


始まりと同様に突然静かになった隣室への扉を見つめていると、ゆっくりとそれが開かれ、凝視していたは本を抱きしめて竦みあがった。

扉の向こうは無人で……というわけでもなく、現れたのは、


「!?……か、」


カールだった。

お馴染みのファントム衣装ではなく、アオザイ姿なのが珍しい。あと、機嫌良さそうに笑みを浮かべているのも。


「カール、さん……えっと……お久しぶりです……?」

「……何だ。貴様、小心なのは変わっていないな」


くく、と失礼にも笑う彼から見ると、は相当怯えていたらしい。

背後からひょっこり顔を出したソロモンへと振り返り、わざわざ彼女の様子を揶揄してきた。


「見ろ、ソロモン。無様だな。盾のつもりか?あの本は」

「え?……ああ、あはは!まあ、そうですね。ハードカバーですから」

「……」


ソロモンにまで笑われてしまっては、文句を言う相手がいないも同然だ。

ぶすっと黙り込んでしまったを一瞥したカールは、さっさと身を翻し執務室を出て行った。


「カール、どこへ行くのです?」

「ディーヴァの所だ。……あの小娘、ディーヴァに気に入られただと?信じられん」

「僕ら全員、同じ気持ちだと思いますよ。しかしおそらく……の、…………」


話し声は閉じられた扉に遮られて、遠ざかっていった。

溜息を吐きながら抱えていた本を放り出したは、栞を挟めなかった本の続きをどうしても読む気になれず、かと言って目も冴えてしまったので、

アレンが遅めのおやつを持って部屋を訪れるまで、最高に暇な時間を過ごす破目になった。




「もうね、工場長が帰ってきてくれて、俺はほんっとーに!感謝してますよ!

 なんといっても、進んでディーヴァ様のお世話をしてくれるんですから!救世主ってやつです」

「それは……よかったですね」


厄介なストレスの元から開放されたアレンが語気を荒くして報告してくるのを聞きながら、コーヒーに砂糖を混ぜる。

としては自分を笑いものにしたカールに対して、どうしても褒め称える気持ちにはなれそうも無かった。


「いやあ助かった……それはそうと、隣の執務室のあれ……どうしたんですか?ズタボロだったんですけど」

「私は見てないんですけど……多分、カールさんじゃないですか?ソロモンはそういうこと、しないでしょう」

「ああー……なるほど。道理でCEOの機嫌が悪い訳だ」

「機嫌が?悪かったんですか?」


隣室の惨状は音だけで察しがついていたが、目撃したアレンにとってもやはり相当酷いらしかった。

アニメと同じことが行われたとすると、いたるところに切り傷やら破壊の跡があるに違いない。

だが、つい先程カールと一緒になってを笑ったソロモンの機嫌が悪いというのは意外に思えた。


「目に見えて、という程では無いですけどね。ほら、CEOって着る物とか結構拘るでしょう。

 執務室の家具なんかも自分で選んだものを大事に使ってましたから……あれは買い替えですね」

「うわあ……でも、カールさんに対してそんなに怒ってる感じじゃ……」

「同じシュヴァリエですし、注意がしにくいのかもしれませんね。若しくは言っても無意味だとか。

 俺もベトナムでの工場長の言動とか服装とか服装とか服装とかにはかなり驚きましたよ……

 様もあれを見たら、思いません?言っても無駄だ、って」

「ふふ、あはは!た、確かに!あれスゴイですもんね、いろいろと……ふふふっ」

「ですよね!良かった、誰も突っ込まないから俺の方がおかしいのかと思ってましたよー」


ひとしきり笑いあう二人。

の憂鬱はこれで晴れたが、その日の夜に最凶の伏兵が無慈悲に全て吹き飛ばしにやってくるとは思わなかった。






ー!!!」

「ひぎゃあっ!?」


もう寝ようと明かりを消した部屋の中に、ぼふん!とくぐもった音と鈴を転がすような声とベッドが大きく軋む衝撃が同時に響き、は思わず叫んだ。

うっすらと差し込む月の光に照らされていたのは隣に寝転ぶ笑顔のディーヴァ。と、傍に立っている不満顔のカールだった。二人合わせてなかなかの不気味さを醸し出している。

隣室のソロモンを掻い潜って来たのか、と扉の方を見ても、少し開かれたその向こうから光は漏れていなかった。彼は執務室にはいないらしい。


この部屋で安静にしている間は彼がディーヴァをやんわりと押し止めてくれたり、一緒にいる他のシュヴァリエの皆さん自体がめったに訪れさせなかった。

けれど、同じシュヴァリエでもカールは違う。シュヴァリエとしての役目を果たすより、ディーヴァのおねだりを聞いてあげる方に全力を注ぐのだ。


「昨日はアンシェルとパーティーに行ってて傍にいられなかったから、今日は一緒に寝ましょう?」

「えっ」

が右で、カールが左ね!おやすみなさい!」

「ふん、邪魔するぞ」

「……ええー……」


例えばこんな、謎すぎる川の字を要求されたとしても。

……望むディーヴァもディーヴァだが、応じるカールもカールである。

何故に当然の如くベッドに入ってくるのだろう?もう少しこう、抵抗の意思を見せてくれないのだろうか、この人は。


このままでは本当にそのまま就寝体制に入ってしまう。そんなシュールな図は私がご遠慮願いたい。

あっちもやわらかいし、ソファにしよう……

抜け出そうと突いた手が、身体を引き寄せることは無かった。逆にシーツの上を滑り、身体の方までずるずると戻ってくる。


「……あれ、……」

「どうしたの、?」


疑問に思うまでも無い。ディーヴァのしなやかな腕が、の腰部分をガッチリとホールドしていた。

恐る恐る振り返ると、その体勢で再びホールドされてしまう。

後退ろうとしても案の定、ピクリとも移動できない。


「わ、私、ソファで」

「だぁーめ」

「か、カールさんと仲睦まじく寝てください!」

も一緒」

「うう……」


カールを引き合いに出せば納得するに違いないと考えたが、甘かったことを知る。

確かにカールと一緒に寝たいだけなら、私の所に来る必要なんてないだろう。

これ以上抗っても何の得にもならないように思えてきて、は仕方なく布団の中に出戻った。

暗闇の中でもギラギラしているカールの目を見てしまうのが怖くて、せめてもの抵抗として二人に背を向ける。

おやすみなさい、と耳元で囁くディーヴァに首筋を甘噛みされ、抱き枕ならぬ抱き血袋の気分を味わいながらは眠りに落ち……

……ることが出来なかった。流石に怖すぎた。


「……………………」


早々に寝入った(と思いたい)ディーヴァの腕から逃れられる気はせず、かと言ってこのまま寝たら朝日を拝めるか怪しいものだ。

それはきっと意識が有っても無くても同じ結果になる気がするが、可能性があるなら賭けてみるべきだろう。

因みに、カールについては賭ける可能性から真っ先に除外してある。彼は十中八九、何が何でもディーヴァの言う通りにするだろうから。







「………………」

そして、空が白む。











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