白いダリアと蒼い薔薇 波 2
「……ふう。何だかんだ言いながら、結構歩き回りましたね」
「流石にちょっと疲れました……」
カフェで遅めのおやつとしてババロアを味わいながら、店のガラス越しに橙に染まりつつある外の石畳を眺める。
ソロモンから激しい運動は控えるように、と注意されていたのもあってしょっちゅうこんな風に休憩をとっていたけれど、街を歩くだけで意外と疲れてしまうものだ。
「そろそろ帰りますか?」
「えー……もうちょっとゆっくりしたいです。せっかく自由に遊べるんだし」
「でしょうね……ここ数日、本当に大変でしたから」
我侭にとられるかな、と思った発言も、アレンさんには同情と共に受け入れられた。
彼もディーヴァ関連では相当な苦労をしているようで、雑談しているとしょっちゅう彼女への愚痴もどきが出てくるのだ。
研究大好きな彼にとっては、お人形を買って来いだのお腹がすいただのアンシェルを呼べだのといった雑務に追われるのはうんざりしてしまうのだろう。
大抵は最後に「こういうのはロナンの方が上手いのに」と付く辺り、ロナンさんのスキルがどんどん謎になっていく気がする。
「まあでも、流石に日が暮れてはCEOに二人して怒られてしまいますから、あと三十分ですね」
「一時間で……」
「駄目ですってば。気持ちは分かりますが……それに、今日はそんなに気にしなくてもいいんですよ」
「?」
意味を図りかねて首を傾げると、得意げな表情をした彼はにやりと笑いながらこっそり教えてくれた。
「今日の夜は、総帥とそのお嬢様が会合に出席するので本社にいないんです」
「さあ帰りましょうかアレンさん」
即座に返答すると、予測済みだったのかアレンさんの笑みが深くなる。
もう少し余裕がありますよ、とわざとらしく提案してきたが、彼だって早く今日の仕事(雑務)を終えたい筈だ。
ケーキの残りを詰め込み、はやくはやく!と急かすと苦笑しながらも立ち上がってくれた。
「早く帰りたいなー」
本社まで徒歩で帰ろうとしたのだが、少し遠いらしく、アレンさんの部下に迎えをしてもらうことになった。
彼が連絡をしに行ってしまったので、その場でじっと待つしかなく、暇である。
が路地の角でぼんやりしていると不意にその路地から、ぬっと人が現れた。
何か大きくて黒いものを背負っているためにフォルムがずんぐりむっくりしており、少々驚いて身を引く。
「うおっと」
「ん?」
思わず飛び出た声に反応して、その人物が振り向く。
すると、何と言うことだろう。まさかのカイ……と、背負われたイレーヌだった。
こちらが認識すると同時に向こうも私を認識したらしく、その表情は一気に強張る。
イレーヌは初対面なので、訳が分からず首を傾げていたが。
「お前……この間の!」「?」
「ど……どうも」
また会ったな!不思議とご縁がありますね!などと冗談を飛ばす訳にもいかず、曖昧に挨拶をしてみたが、カイの緊張はますます高まったようだった。
ずささ、と後退り、片手を彷徨わせようとしてイレーヌを降ろせず苦い顔で諦めていた。
……まさかまた銃を取り出そうとか思って……ないよね?
「どうも、じゃねえよ!お前結局何モンなんだ?シュヴァリエ……なのか?」「!?」
「ち、違うから!断じて!人間だってば!」
シュヴァリエ、の単語にイレーヌの全身が強張る。
彼女に悲痛な顔をさせまいと必死に否定すると、内心そうであって欲しいと思っていたのか、二人の表情が和らいだ。
いい加減にこの度重なるシュヴァリエ疑惑を払拭したいのだが、どうすればいいのだろう……
「じゃあ、あのソロモンってやつの……恋びt」
「違ぁあう!!!やっぱあの雑誌みんな読んでたの!?」
と、思っていた私が甘かった。例の雑誌での誤解の方が数段厄介だったことを思い知る。
せっかく色々な事件で忘れかけてきた所だったというのに、彼は見事に掘り返してくれた。
こうも生々しく他人の口から語られると、想像するより被害は甚大だ。カイ、許すまじ。
「いや……そもそもあの写真撮ったの、うちのルイs」
「ルイスおのれええ!!もう嫌だー!!」
「……正直すまん」
「いいよ……犯人わかったからそれで」
訂正。ルイス、許すまじ。絶対にだ。
何故撮った。何故公開した。何の恨みがあって……ああ、ディーヴァ関連の恨みか。
それじゃあ仕方ない…………訳あるか!ぐああ!ルイスの残念なビフォーアフターを全世界に公開してやりたい!!
ぐるる、と心の中で吼えていると、多少態度が軟化したカイが再び話し掛けてきた。
もう撃たれることは無さそうだったので、こちらも緊張を解く。
「でもそれなら、なんであんな所にいたんだよ。ディーヴァの命令か?」
「ディーヴァには、散歩してたら捕まっちゃって……気付いたらリクは死に掛けてるし、もうほんと大変だったよ。
シュヴァリエにしたら助かるって聞いたから頼んだけど、そのあとアンシェルに散々叱られて心が折れちゃうかと思ったんだからね!」
「……」「……?」
誰にも言えなかった愚痴を言えて、何となく心が軽くなった気がした。
反対に顔をしかめたカイと話が分かっていないイレーヌを見るに、話を信じてもらうにはもう一押しが足りないのだろう。
そもそもは私が正体不明だったのが疑惑の発端だ。ならばその証明をすればいい。
「な、なんなら傷!傷残ってるの見る!?それで人間だってわかるでしょ、」
「!? っどわあああアッ!や、やめろわかった!わかったからやめろ!」
シュヴァリエは傷が再生するのだから、まだ治りきっていない状態なのを見せればいい。
そう結論付けて、善は急げと上着の裾を捲りかけた結果、物凄く取り乱したカイに全力で制止されてしまった。
大層慌てたのか、よたよたぐらぐらする体からはイレーヌが落っこちそうになっている。
本当に落ちては大変なので、上着を戻した。
「ほんと?……よかった」
「………………ごめんな」
「……え」
乱れを直している間に小さな声で言われた謝罪に、手が止まる。
まさか、カイは私を撃ったことを……謝っているのだろうか。
自分の都合のためだけにリクをシュヴァリエにさせた私を、許してくれると言うのか。
もっと彼とわかり合いたくて口を開きかけた時、間に入ってきた人物がいた。アレンさんが帰ってきたのだ。
「お待たせしましたー……ん?そちらの二人は」
「あ、アレンさん!ええと、その」
素直に言って良いものか迷っているうちに、じいっと二人を見つめたアレンさんは、カイを思い出してしまっていた。
「ああ!ベトナムにいた……あー……ミヤグスク兄弟の……兄ちゃんか?」
「! てめえもディーヴァの仲間か」「……っ」
次から次へと現れるディーヴァ関係者にイレーヌがびくびくしっ放しで可哀想になってくる。
しかもアレンさんはソロモンと二人してギーのことをサンプル扱いした張本人なので、あながち杞憂とも言えないのだ。
「仲間……?ううむ、難しいな。少なくとも今は様の護衛してます☆」
「……っていうのか、お前」
「へ?あ、うん」
赤い盾であるカイに対しては護衛モードが外れるのか、若干おかしなテンションになっているアレンさん。
会話を半分ほどスルーしたカイがこちらに話を振ってきたので、生返事をしてしまった。
アレンさんの方は特に気にしていないのか、構わずにカイへ問いかける。
「確か弟だろ、うちの末っ子シュヴァリエ」
「リクはっ……お前等のシュヴァリエなんかじゃねえ!」
「怖えー。ま、データ欲しいとか思うだろうけど、あんま無理させんなよ?疲れちまったら可哀そーだし」
「……」
険悪なんだか御気楽なんだか微妙な線をいく会話の外で、一人観察する。
アレンさんの本音か軽口かどちらとも付かないアドバイスに、カイも出方を窺っているようだった。
「……んん?てかその背負ってる子……どこかで……うーん……」
「は?」「?」
「え?」
いきなり、アレンの興味はカイが背負うイレーヌに移った。
イレーヌの顔を知っている。まさか、そんなことはあり得ない。
だって彼女のいた研究所は既に無いのだから。
「あ!そっかキルベドの!い、イー……イレーヌ!そうだろ?うわー懐かしい!」
「わ、私を……知っているの!?」
「どういうことだ……まさか話にあったシフの、」
……本当にどういうことだ。今の私の心境はカイと同じだろう。
キルベド、なんて決定的なキーワードがアレンさんの口から飛び出してくるとは。
その上イレーヌの名前まで知っているとは。もう私にはアレンさんの研究遍歴がわからない。
「シフ……?ん?え?じゃあもしかしてCEOを襲ったのお前等か!」
「あなたは……何者なの。キルベドの研究者?」
「一時期な。でもあそこ、研究費の払いが悪くてさ、すぐやめたよ。同僚と二人で良い感じの結果が出てたのに、全然認めてくれねーの!酷いよな?
やっぱさー、直属より多少好き勝手できた方が……おっと今のナシな!」
アレンさんとイレーヌは互いに正体を察したらしい。
ただしその温度差は天と地程だった。
点と点が繋がってスッキリしているアレンさんと、不穏すぎる怪しい人物の登場に警戒を強めたイレーヌ。
あわや修羅場か、と後退りかけたのだが、機嫌が乗ってきたアレンさんの盛大な暴露のお陰でそれもなくなった。
彼の研究熱心さにはつくづく感心してしまうけれど、まさかそんな理由でキルベドから出て行ったとは。
話された同僚とは十中八九、ロナンさんだろう。なんとも仲の良い人たちである。
「アレンさん、研究者だったんですか!(キルベドの!)」
「そーですよ。言ってませんでしたっけ?まー最近は雑務に追われ気味ですね」
雑務の内容を思い浮かべたのか乾いた笑いを漏らしたアレンさん。
研究好きの彼からすると、私の世話だって結構な負担になっている筈だ。
ソロモンもいい加減に私の護衛なんてやめさせたらいいのに、と思ったが、その任を外されたとしても、歌姫関連の雑務が増えるだけなのかもしれない。
せめて私といる時はできるだけ困らせないようにしよう、と自分に言い聞かせていると、思いつめた表情のイレーヌがアレンさんに問いかけた。
「それなら……私達の印を食い止める方法を教えて」
「イレーヌ……」
彼女の発言に、カイが目を見開く。
敵である筈のアレンさんに話を聞くなんて、今日までのイレーヌには考えられなかった行為なのだろうな、と思えた。
きっと、心配そうに彼女を見上げるカイが彼女の心をやわらかくしてあげたのだろう。
そしてイレーヌの発想には恐れ入りました。原作にいない人なので考えが及ばなかったけど……その手があったか!
期待を膨らませてアレンさんを見つめたが、想いとは裏腹に彼の表情は冴えない。
「ソーン?……うーん、ごめんな。薬の投与でお前等の顔は見てたけど、
末端の研究室だとそこまで詳しいことはなあ」
「何でもいいの。サヤの血以外に、必要なものはあるの?」
「………………うん?サヤの、血?」
途端に怪訝な表情になったアレンさんを見て、私も重要なことを思い出した。
い、イレーヌ!その質問は残念だったけど物凄くナイスだったよ!
小夜の血は飲んじゃ駄目なんだった!
ああ、イレーヌ達が元気になるんだったらディーヴァに血を貰いに行くのだって頑張れるかもしれな……あ、やっぱ無理かも……い、いやいやできる!はず!
「研究者の一人が言ってたの。私達にはそれが必要だって」
「……いや、お前それ……それだけは無いぞ」
「え……?」
「何言ってんだよお前……こいつらはそのために小夜を、」
勝手な自問自答の合間にも、三人の話は続いていた。
カイとしては小夜の血をあげることでシフとの確執全てが解決すると思っていただけに、アレンさんの主張は受け入れがたいようだ。
「だって考えてもみろよ。ゴールドスミス傘下の研究所だぜ?当然「材料」はうちの女王サマに決まってる。
サヤが血で翼手を倒すのは知ってるだろ。となれば、それを摂取したらどうなるかぐらいは……なあ?」
「そ、そんな……じゃあ、私達は、今まで……」
「もし材料がサヤだったとしたら、うちのCEOの血を飲んで、何らかの変化があるかもな。
と、いうかシフって今までサヤにやられたこと無いのか?その時点で気付きそうなもんだけど」
「あ……」
「そういや一人……海に落ちたからどうなったかはわかんねーけど……」
ご尤もです。
でもシフ達だって、脅して吐かせた証言が希望どころか凶器だったとは、夢にも思わなかっただろう。
研究者としても望まない死を前にして、絶望の一つや二つ、送りたかったに違いない。
「……ふむ。印、か。それはそれで面白そうだな」
「面白いって何だよ!イレーヌは必死なんだぞ!」「……」
一気に暗いムードになってしまったカイとイレーヌをよそに、アレンさんがぼそりと呟く。
聞きとがめたカイが、その発言に声を荒げて食って掛かるが、言われた方はさほど気にしていないようで、苦笑しつつ、手帳を取り出した。
何をしているのだろう。同様の疑問を浮かべた三人で見つめていると、彼はサラサラと何か書き付け、びりりとそのページを破る。
「はは、いや、そういう観点から見たこと無かったな、と思って。
じゃ、イレーヌ、……ほい」
「……?」
手帳の切れ端を掴んだ手はカイ……ではなく、背負われたイレーヌの方へ伸び、恐る恐る受け取った彼女は、意図を推し測りかねて彼の顔を訝しげに見る。
「困ったら、頼ってくれ。勿論「救い」を求めるならサヤの血を貰うのも止めはしないけど、勿体無いぜー。」
「……信じられると、思うの。私達を使い捨てにしてきた研究者のくせに」
「信じてくれると俺が嬉しい!やるからには頑張るぞ俺は!」
「おおう……アレンさんがいつにも増してテンション高い……」
ツンツントゲトゲしたイレーヌが詰っても、アレンさんの機嫌は良くなるばかりだ。
拳を握り目を輝かせて語る様子に、誰もが戸惑いを隠せない。勿論私も。
あまりのやる気急上昇ぶりに思わず独り言を呟いた時、アレンさんの携帯が鳴り出した。迎えが到着したらしい。
「OK、わかった。……じゃあ迎えが来たから帰るわ。様行きますよー」
「りょ、了解です!」
呼びかけられてハッと我に返り、慌ててアレンさんの背を追う。
少し歩いた所に止められた車に乗り込んでから、折角警戒が解けたカイにソラの事を聞けなかった事を後悔したが、後の祭り。
次に落ち着いて彼らと会えるのはいつになるのだろう、と、楽しげに電話で談笑するアレンさんの声をBGMに、照明が灯り始めた夜の街が流れていくのを眺めるしかなかった。
+++
「あっちょ、待てよ!」
アレンというキルベドの元研究者に急かされて、は走り去ってしまった。
追いかけようにもイレーヌを置いてはいけない。
カイは苦々しげに、怪しげな二人が去った方向を睨んだ。
「……くそ、ディーヴァについて何も聞けなかった……」
恐らくあの二人は、翼手の女王に近い場所にいる。内部の事情だって少なからず知っているはずだ。
それでいて、こちらを害する気が無い、いたってまともな部類に入る人間。
情報を得るのに、これ以上うってつけの相手は無い。それを、みすみす逃すとは。
特にという女の子については、初対面の得体の知れない印象が、先程のやり取りで覆ってしまった。
デヴィッドの言う通りに人間だったという事実に加え、まさか弟のリクを『助ける』目的でシュヴァリエにしたとは意外である。
当然、嘘を吐いた可能性だって十分にある。
けれども、彼女が真にディーヴァの忠実な配下なら……目覚めたリクが、あんなにも彼女を庇うだろうか。
いろんなことが起こって混乱しているだけだ、と真剣に取り合わなかったが、リクは彼女への敵意を露にする自分に対して、「そうは思わない」と意見していたではないか。
普通のお姉ちゃんだよ、と言われてもその時は全く考えられなかった。けれど、今は彼女のことを信じてみようという気持ちが生まれていた。
何より、イレーヌに信じて欲しいと思ったのは、他ならぬ自分なのだ。その自分が他人を信じられなくてどうする。
自分を信頼してくれたイレーヌを抱え直す。
アレンに「信じろ」と言われてから口を噤んでいた彼女が、ぽつりと呟いた。
「……ありがとうって、言えなかったわ」
彼女だって、人を信じようと一生懸命だ。その大きな進歩に、心が熱くなる。
アレンとが去った方向に背を向けて、ゆっくりと歩き出した。
「あの、アレンって奴にか?あいつ、何か胡散臭いんだよな。で、何貰ったんだ」
「どこかの、住所みたい。キルベドでの識別番号がパスワード、だって」
「はあ?怪しすぎるだろ、やめとけよ」
いくらアレンがイレーヌ達に対して協力的だったとしても、のこのこと指定場所に赴くのは危険だろう。
そう訴えるが、振り仰ぎ見た彼女は真っ直ぐ前を向いていた。
「でも、私達が知るべきだった真実を教えてくれたし、
何より……研究者としてだけど、私達の明日を作ろうとしてくれているんじゃないかって思ったの」
「……俺だって、お前達のために出来るだけの事をしたいんだ。
血をあげるってのは……駄目になっちまったけど、それなら安心して休める建物を貸す、とか他にも」
少し興奮気味に話す彼女の顔が本当に嬉しそうで、ぽっと出の、それも敵側の人間に先を越されたような気分になり、つい言い募ってしまう。
彼女達のために何かしてあげたいと、思いつく限りの支援を口にしていると、不意に背の彼女が小さく笑う気配がした。
「うん、嬉しい。私今、すごく嬉しいの。早く皆に、教えたい」
「そうか……へへ、良かったな」
彼女につられて笑いながら、夜の街を歩くカイ。
全ての物事が上向いているような気分になっていたが、シフとの確執がそう簡単にはなくならないことを、数分後に思い知ることになる。
-- + ----------------------------------
Back Next
Top