白いダリアと蒼い薔薇 波 1
ソロモンがシュヴァリエ的超ダッシュを披露してから、約一日。
ベッドから身を起こせるようになった時には、の身柄は病院からサンクフレシュ本社の自分の部屋へ移されていた。
あまり人目につかない事を理由に行われたその意味を、は今まさに理解している真っ最中である。
「どうしてお前はそう、指示通りにできんのだ?お前が考え無しに行動したせいで、どれだけの予定が狂わされたと思っている」
「……」
「シュヴァリエは本来ディーヴァを守るためのものだと言ったな。だが、今は必要としていない。お前がやったのは全くの無駄ということだ」
「……」
話がある、とアンシェルが部屋を訪れた時から悪い予感はしていた。
くどくど、くどくど、
くどくどくどくどくどくど以下略。
口を開いてから今この時まで、お叱りの言葉しかもらっていない。何回か同じことを言われた気さえする。
要約するなら、
勝手な行動をするとこちらに迷惑がかかる、衣食住命委ねているのだから慎みのある行動をしろ、
んでもってディーヴァに意見するとかふざけてるのか。お前はディーヴァにただ従えば良い。
……といった内容……のはずだ。正直あんまり真面目に聞けていない。
何故かってそりゃ、アンシェルの目ヂカラ、じゃなかった気迫が強力すぎてそれ所じゃないのだ。
冒頭はまだ良かったと言える。
物凄くイライラしてはいたけれど、ディーヴァが今回つくりだしたシュヴァリエという存在について説明してくれた。
これで私に与えられる知識は「吸血鬼」から「翼手」へ置き換えられ、正式にディーヴァ側の人間だと認識された訳だ。
だがしかし。これがアンシェルからすると全く望まれない展開だったようで、釘を刺すための説教が始まってしまった。
この一方的な敵意の雨あられのブリザードは、以前にジェイムズから受けた感覚とそっくりで、どんどん心が萎縮していくのがわかる。
私自身は「正しい事をした」と思えていても、とてもそれを表明できる気がしない。
むしろ居心地の悪さに逃げ出してしまいたいぐらいだ。逆効果の極みだと思われるので実行はしないが。
「……聞いているのか!?」
「ひゃ!?はいぃ!」
しばらくじっと耐えていたのだが、急に強くなった語気にびくりと飛び上がってしまった。
保っている意思がくじけそうになるのを必死で抑える。
「ふん……これに懲りたら二度と軽率な行動は起こさないことだな」
「……すいませんでした……」
出来る限りの外面を取り繕おうと発した声音は、自分でも驚くほどに震えていた。やっと開放される、と気が緩んだのか、もう涙目である。
アンシェルすごく怖い……!心折れそう……!
「では失礼する」
アンシェルが退室してようやく身体の緊張がとけた。
長い長いため息を吐き出していると、控えめなノックが聞こえた。返事をすると、再びドアが開く。
「、調子はどうですか?」
「ソロモン……」
あー、アンシェルの威圧の後だとソロモンがちょっと困った顔をしてても癒されるね。
部屋の外を窺って「ああ……アンシェル兄さんなら、もういませんよ」なんて微笑んで気を遣ってくれる所とか。
「随分と長かったですね。今までほぼ無関心でしたけれど、今回のは相当気に触ったようで……」
「あはは……」
力なく笑うと、ベッド脇に歩み寄ってきたソロモンが椅子に腰を下ろした。
その状況が船の中での記憶と重なる。
「シュヴァリエの……翼手の説明を受けたそうですね」
「はい」
「新たなシュヴァリエ、リクについては今の所、サヤ側で泳がせておこうという話になっています。
僕としても争いは出来るだけ少なくしたいので、彼の存在がサヤの戦意を削ぐという方向に誘導したい所ですね」
流石に同属のシュヴァリエを即排除、とまでは考えなかったようで、少し安心する。
でも、確かに小夜の戦意は削げても、こちらの戦意が無くならないと意味が無い、ような……
「あと、……今回の件で、実はちょっと安心しているんです」
「安心、ですか」
「ええ。正直、これまで僕はの事を、良くも悪くも普通の女の子として捉えていました。
僕やディーヴァに脅されて、命の危険があるために大人しく従っているのだ、と。
だから動物園の塔であなたが赤い盾と接触したなら、命乞いなり取引なりをして、身の安全を選ぶ可能性が十分にあるのではないか、とね」
「……」
もし私が初めに森を抜けて辿り着いたのがベトナムの館ではなく動物園の塔だったなら、そういう手段をとっただろう。
そういう意味ではソロモンの予測は当たっている。
現実にならなかったのは、私が元から持っている知識に加えてベトナムからの時間と経験が、今の私に大いに影響しているからだ。
「ところが、あなたはそうしなかった。それどころかディーヴァと共にいると約束までした。
……ここまでやってくれたんです、もう僕等はがこちら側だと判断せざるを得ませんよ」
「アンシェルさんは、怒らせちゃいましたけどね」
自嘲気味に笑むと、つられたようにソロモンも笑った。
やはり彼から見ても、アンシェルのいらつきは相当酷かったようだ。
「はは、そうですね。兄さんは予定が狂うのをあまり歓迎していませんから。それがディーヴァに関することなら尚更……
ですが。一言言いたい気分なのは僕も同じですよ」
「えっ……」
まさかソロモンまで、長い前フリをカムフラージュに私を叱りに来たのだろうか。
これは一言では済まないぞ、と身構える私に彼は手をパタパタと振って見せ、その予想を打ち消した。
「いや、怒りたい訳ではないんです。ただ、塔であなたに何が起こったのか、まるでわからなくて。
人間のあなたに攻撃手段は無いでしょう?一体何があったら撃たれる状況にまでなるんです?」
「えっ、と……リクが心配で、ちょっと近付いた、ら……」
近付いたら、いきなり叫ばれたのだ。
『化け物』と。
こちらを拒絶するカイの表情と、銃口を思い出す。
途端に身体の芯がすっと冷えて重くなったかのように沈み込み、現実に縋りたくてシーツを握り締めた。
「?」
「ち、近付いたら……カイが、銃を、……」
化け物と呼ばれた事だけは、何故だか言いたくなかった。
未来を知っているという点ではある意味当たっていたと、心のどこかで認めているからかもしれない。
言うことが無くなって口を噤むと、困り顔だったソロモンが少し笑った。
「……そうでしたか。わかりあうというのは、やはり難しいのですね。
今は身体を休ませましょう。軽く抉った程度とは言え、一時は危険だったことに変わりはありませんから。
立て続けに話をさせて済みませんでした……隣の執務室で仕事をしているので、何かあれば呼んでください」
無理をしてはいけませんよ、と念を押しながら、ソロモンも退室する。
どの道アレンさんが世話をしに来てくれるので無理などできないのだが、念には念を、ということなのかもしれない。
きっとソロモンの中での私は、いくら言い聞かせても勝手に走り出す子犬みたいに見えていることだろう。
反論は……できない。
それでも、私だって色々考えているんです!……と挙手して主張したかったのだが、
そんな度胸も必要性も、今となっては聞かせる相手すらいなかったので、両手は大人しく布団の中へ仕舞われることになった。
ディーヴァに脅かされない環境でぬくぬくと静養するに、アレンから「市内観光の許可が下りた」と伝えられたのは、翌日の夜のことである。
「本当はもう少し安静にしてからがいいんですが……」
心配するソロモンをよそに、はすっかり浮き足立っていた。
何と言ったって、今日は数週間の安静状態を乗り越えてパリの観光に出かけるのだ、当然である。
連日命の危機に晒され続けてきただけあって、精神は磨耗し適度なリフレッシュを要求している……早い話がいい加減遊びたい気分なのだ。
仕事で忙しい自分の代わりにアレンを同伴させろ、というソロモンの条件だって気にならない。
むしろ原作キャラクターでない分、気兼ねなく行動できそうだと、テンションが上がる。
「では、CEO。夕方には帰ると思います」
「行ってきます!!」
「……え、アレンさんも観光は初めてなんですか?」
「実はそうなんですよね」
出発してすぐに判明したのだが、アレンさんはそれほどこの街に詳しくないらしい。
なんでも、今まではベトナムでの気ままな研究生活が好きで長居しており、サンクフレシュ本社にいた時も研究室に篭りきりだったとか。
それはつまり、引き篭もり……いや、熱中できる仕事で何よりです。
そんな生活だったので外に出るのは仕事関係の用事だけになり、おおまかな地理ぐらいしか分からない、と断りを入れられた。
「へー。いや、大丈夫ですよ。色々見てまわるよりゆっくりしたいなって思ってるんで」
「本当ですか?良かった、こういうのは俺よりロナンの方が適任なんで、焦りましたよ」
「ロナンさん……」
さらっと出てきたロナンさんの名前に、ちくりと胸が痛む。
彼はベトナムで別れたきり、どうなったのかまるで分からない。
ソロモンも全然話題にしないので聞きにくい、というより怖くて聞けていない。
ソラの安否もカイ達とのいざこざで聞ける雰囲気ではなくなってしまったし、分からないことが多すぎる。
「……大丈夫ですよ。大丈夫」
「……」
きっと私は悲しい表情をしていたのだろう。
アレンさんはいつものにっこりとした笑みじゃなく、少しだけ目元を緩ませて、優しく私の頭を撫でた。
あれ、何だか珍しい……と思う暇も無くあっという間にほっこりムードは引っ込み、変わりに休日モードに切り替わっていた。
「よし!じゃあ買い物とかしますか!経費はCEO持ちなので遠慮せずどうぞ!」
「えっじゃあ遠慮なく買います!まずは凱旋門一つとかどうでしょう」
「ぶはっ……微妙にできそうな所がいいですね」
「どこに置きます?」
「うちの屋上には多分入りませんよ」
結局、非常に遺憾ながらペーパーウェイトで手を打った。
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