白いダリアと蒼い薔薇 緋 6
「ぅぐっ! がぼっ、か、かはっ……!!!」
バッシャァン!と響いた音と共に上がった盛大な水飛沫が降りかかり、半分程浸かった顔に、水が容赦なく流れ込んできた。
口やら鼻やらに入ってくる水に咳き込む。変なところに入ったのか、頭が痛い。
荒い息を吐きながら何が何でも頭だけは水面から上げようともがく。
硬い地面に打ち付けられたせいで、体を動かすのがかなりつらい。
「はあっ、はあっ、はあ……っ、」
ほんの数分前まで夢うつつだったというのに、この散々な状況は一体どうしたことだろう。
冷たい水のお陰で頭は完全に覚めたが、代わりに全身殆どずぶ濡れだし、体中は痛いし、おまけに脇腹を撃たれている。
「……っ」
脇腹はじんじんと痛むが、打撲と手の裂傷以外に体の不調は無いので、どうやら掠った程度のようだ。
恐る恐る無事だった手を当ててから広げて見る。
ぼんやりと降り注ぐ外光に照らされて、どす黒い血がしっかりと付着していた。
「……待ちやがれ!」
「!!」
その時、遥か上から誰かが叫ぶ声が小さくともはっきり聞こえた。
きっとカイだ。
咄嗟に見上げたけれど、遠いうえに明るすぎてよくわからない。
目を凝らす、が、同時に乾いた音が響き、一拍遅れて明り取り窓と化した頭上の穴の端が一部、少し離れた場所に落ちてきた。
「えっと……?」
微かだが、別の人の声も聞こえる。
多分デヴィッドさんやルイスさんだ。
「カイ!落ち着け!撃つなと言っている!」
「ぅおッ!? おま、カイ!危ないぞ!」
「…………っ」
どうやらカイが、尚もこちらに発砲しているらしい。
見えないけれど、正確ではないけれど、私に照準が合わせられている。
そのことに思い至った瞬間、ゾッとして、血の気が引いた。
「落ちた嬢ちゃんを狙ってるのか!? 何だってそんなこと、」
「ルイス!こちらは私が抑える、お前はそちらの女の子を追え!」
「何だって!?この高低差をか……あっ」
やはり私が標的になっている。
それがカイだけでなく、デヴィッドさんやルイスさんも同じだと確信して、焦りが大きくなる。
ここから離れなければ、捕まってしまう。
そうでなくても再び撃たれる危険はなくなっていない。
今度は掠る程度で済まないかもしれない……
ぞわぞわと恐怖に包まれ、振り払うように暗がりの方へ駆け出した。
自分を見失えば、穴に落ちてまで追ってくることは無いだろう。
「おいおい、嬢ちゃん逃げちまったが……これを追うのはかなり骨だぜ……」
「くっ……わかった、――はこちらで――を手伝――、――」
煩く響く水音に紛れて、次第に声が遠くなる。
私なんぞを捕まえたところで何の役にも立たないだろうに、彼らは何がしたかったのだろう。
ディーヴァの情報も殆ど知らないし、仮に教えられたとして、正直戦いの決定打にはなりえないと思う。
どちらかといえば、ディーヴァと一緒にいたことで私を彼女のシュヴァリエと勘違いしている可能性の方がありそうだ。
ソロモンといいギーといい、そんな短絡的思考はもう勘弁して欲しかったのだが……
そもそも女はシュヴァリエになれるのかが疑問である。
そんなに、ただの人間がディーヴァの傍にいることがおかしいのだろうか?
単なる「オヤツ」だって、いてもいい、よね……
「…………はぁ……」
無心に歩き続けようと思っても、光の射さない闇の中ではつい、いろんなことを考えてしまう。
真っ先に脳裏に蘇ってくるのは、こちらを憎悪の瞳で睨みつけてきたカイ。
そりゃあ恨まれるだろうな、と思ってはいた。
でも、実際そうなった時の心の準備が本当の意味で出来ていなかったことを思い知ってしまった。
途方も無くやるせなくて、もどかしくて、そして……怖い。
愛の強さと真っ直ぐさを、見てはいけない場所から眺めてしまった気分だ。
尤も、それだけの愛情があるなら、たとえリクの主が小夜ではなくディーヴァになっていたとしても、
カイは変わらず弟を守ってくれるだろう。その点だけは安心と言える。
次いで思い起こされるのは、ソロモンやディーヴァのことだ。
二人ともが私の生活を支えてくれているし、今のところ殺さないでいてくれるから、ありがたい存在である。
でも、反対に二人から見た私は一体何なのだろう。
ディーヴァからは完璧にエサだと思われている、と考えていたのだが、
さっきお願いを聞いてくれたことで、それがちょっと揺らいでいる。
もしかしたら、私が頑張ってコミュニケーションをとれば、彼女の行動をある程度抑制できるかもしれない。
そしてソロモンからだが、これがよくわからない。
少なくとも初めは、どこからともなく現れた怪しい人物を監視するために私を保護したのだろう。
でもそれなら、ベトナムから出た時点でどこかの施設や研究所に放り込んでしまえば済む。……私としては困るけど。
偶然私がディーヴァに襲われて興味を持たれたから、シュヴァリエとして世話をしてくれているのだろうか。
それとも、あの変な暗号を解いたり外国語がペラペラだったりする不可解な生態を自分で研究したいと思っている、とか。
だったら納得だ。自分でも訳がわからないこの脳内は、研究者気質っぽいソロモンなら興味をもって当たり前だろう。
「…………」
目の前に上げた見えない手を見つめる。
こうも真っ暗だと、つい後ろ向きな考え方をしてしまう。
……化け物、と。叫ばれた声が、表情が忘れられない。
私自身は化け物(翼手)じゃないし、リクに何もしていないから、本来ならそう言われる謂れは無い。
けど、異世界に来たことや色々おかしい脳内は明らかに「異常」だ。
その点で言えば、私はある意味化け物、なのかもしれない。
主人公の敵であるディーヴァに抵抗無くくっついているのもおかしいのだろう。
きっとこんな時、何が何でも隙を見て彼女の元から逃げ出し、赤い盾に付こうとしたり戦ったりするのが普通の感性なのかな、と思う。
それでも……この世界に存在する私にとっては、そこまでディーヴァを恨む理由が無い。
カイやら小夜の恨みは私のそれではないし、血を吸われるのは痛いし怖いけどディーヴァ自体が嫌いなわけじゃない。
私からすれば、よくもまあ赤い盾として組織が成り立つなあ、と感心しそうなぐらいだ。
まあ、全人類が翼手化する!となったら嫌でも団結するか。
私だってそんなのは怖すぎるから賛同しないけど。
大体アンシェルはディーヴァの夢を叶えたかったのか翼手の研究がしたかったのか、結局どっちだったんだ。
人類がほぼ翼手化しちゃったら女王の跡継ぎも作れなくなるんじゃないのか。
……そんな疑問も、とにかくここから出ないことには謎のままなんだけどね……
「うう……ここどこ……」
暗い。とにかく暗い。
何も見えないし、足元の水音以外何も聞こえない。
一旦立ち止まって耳を澄ませたら、先に落ちたディーヴァと小夜の声が……
……聞こえるはずも無かった。
諦めて再び歩き出したけれど、だんだん不安は大きくなる。
この通路に果てが無かったら。
いつの間にか迷って引き返せなくなったら。
誰も、迎えに来なかったら。
「………………――っ、ふ」
急に恐怖がこみ上げてきて、目の辺りがじんと熱くなった。
じわじわと目を覆う液体がかさを増した感覚があったが、瞬きでそれを打ち消した。
そうだ、泣いたって何になる。ここには私一人しかいないんだから。
出られないかどうかなんて考えるだけ無駄だ。今はそれより何よりここから出なくては。
あと少しして突き当たれなかったら、反対側に引き返そう。
流石に赤い盾の人はこちらを見ていないだろうから、もう片方の通路を探索できる。
そうと決まれば、と、は小走りに駆け出した。
足元の水かさは落ちた場所と比べて明らかに減っており、それがいい兆しだといいなと、なんとなしに願った。
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