白いダリアと蒼い薔薇 緋 3
「もう誰も・・・いない、よね?」
思わず独り言が漏れた。
でもそれはしょうがない。なんだか毎回、『誰もいない』と判断した後で誰かしら出現するのだから。
私の状況把握能力とか、そういう問題ではない。だってみんな人外なんだ。気配なんて探れる訳無い。
「・・・っ」
用心には用心を重ね、数分経ったところでそろりと外を窺う。
血溜まりは・・・見たくないので視界からシャットアウト。精神的に。
・・・誰もいない。多分。
このまま外に出て別の場所に隠れるのが得策だろうが、まだ時間があるなら少しぐらいの自由行動はしてみたい。
当初の目的であった塔の探索ぐらいなら、ちゃちゃっと行って帰ってこれるだろう。
・・・よし!善は急げ!
もう足音を気にする必要も無い。ほの暗い塔内部へ足早に踏み入ると、螺旋状の階段へと向かう。
タンタンと階段を上る軽快なリズムにつられて、心も軽くなった気がした。
『動物園』の塔で、誰もいなくて、探検し放題なのだ。こんな体験、そうそう出来ない!
「おぉ〜蒼薔薇と赤薔薇だ!ほんとに生えてる!」
程なく、蔓が絡みつく回廊へ到達した。陽だまりがじんわりと空気を暖めていて、
何だか夢の中にでもいるような、そんな雰囲気に包まれる。
ふと見た石壁には赤と蒼の薔薇の花が寄り添うように咲いていて、思わず声をあげて立ち止まった。
蒼い薔薇ならベトナムで一度見た。
実験体の男の子・・・ソラに連れられて。
あの時の薔薇も自生していたけど、きっとこの塔では何十年も前から変わりなく咲いているのだろう。
ソラは・・・あれからどうなったのか、知る術が無いのがやるせない。
館の一階の部屋に押し込めた、だから大丈夫だとは思う、思いたい。
同じようにあの日からいないロナンさんは『護衛』なくらいだし、多分無事。
・・・でも、小さな子供は?
爆風に耐えられていなかったら。
あの後翼手化していたら。
そして赤い盾に処分されてたら・・・
ここで私が今更何をしても無駄だとはわかっていても、どうしようもない事ほど悩んでしまう。
だからといって、本当に何も出来ないという訳ではない。
赤い盾がいずれこの塔に来る筈なのだから、穏便に接触して、彼について聞けばいい。
その時が無理でも、後々何回も接触するから気は楽だ。
「・・・ん?」
いい加減先へ進もうと薔薇から目を逸らした瞬間、視界の端で何かがきらっと光を反射した。
石造りの廊下なのにおかしい。改めてよくよく目を凝らすと、その光は幾重にも生い茂った蔦の下に見える。
気になったのでその場でしゃがみ、硬いそれらの隙間からなんとか指を差し込んで、
指先に触れた何かを少しずつ引っ張りながら、ずりずり取り出した。
「よし取れた!・・・何これ、・・・・・鍵?」
それは黒ずんだ鍵だった。それなりに大きく、結構な重さが有る。
辛うじて一部が金色に光っていたので元の色はわかるが、お世辞にも綺麗とは言い難い。
多分何年も、もしかするとそれ以上の長い間ここに落ちていたのだろう。でなければこんな場所にない。
それにしてもどうしてこんな場所に鍵が、と考えると、思い当たる節は一つしかないのだが。
「まさか、『あそこ』の・・・」
そう思って見れば、確かにデザインも似ている気がする。
でもあの鍵は当時小夜が持ち出して、しっかり手に握っていた筈。何故今ここにあるのだろう?
「・・・いいよね?」
誰に言うでもなく自分に言い聞かせる。
『あの日』から今までずっとここに落ちていたのだ、
扉はもう開いていて鍵の役目は終わっている、
重要なものなら既に回収しているはず、
なら私が回収したっていいじゃないか。
無意味ながら周りを確認し、持っていた鍵をスカートのポケットの中へと滑り込ませた。
・・・あとでちゃんとソロモン辺りに確認取ろう。
回廊の突き当りまで進むと記憶通り、ディーヴァが幽閉されていた部屋の扉が見えた。
重厚なそれは威圧感だけで固く閉ざされているように錯覚させたが、唯一の錠前は外れたまま、引っかかっていた。
手を突いて押すと予想外に軋んだ音をさせるので一瞬硬直するが、今この付近には誰もいないのだからと思い直し、
一気に扉を押し開ける。
まるでホラー映画のような音が響くなか、は室内へと足を踏み入れた。
「ここが、あの」
中は思っていたよりも明るく、崩れた壁から差し込む光が床に歪な影模様を描いている。
アニメで見た様子と恐ろしいほどそっくりで、絵の中に迷い込んだかと錯覚してしまいそうだ。
ディーヴァが何年も過ごした場所。
サヤの手によって開け放たれた場所。
巡り巡って姉妹が再会する場所。
ふらふらと、部屋の奥の方へ歩く。
原形をとどめていない壁際に立つと、眼下には美しい風景が広がっていた。
小夜とソロモンはどのあたりだろう。超ダッシュしたハジは間に合ってしまっただろうか……
「…………っと、ゆっくりしてる場合じゃないか」
いつの間にか、景色を眺めながらぼんやりしてしまっていた。
あわてて引き返そうとした、その時。
「……?」
笑い声。くすくすと、どこか幼い少女のような、
……まさか!?
「えっ、いやいやそんなまさか……どうしようどうしよう」
考えうる少女の中で、くすくす笑ったりしそうなのは一人しかいない。
一瞬、逃げようかとも考えたが、ここは塔の上で入り口は一つ。どう考えても不可能である。
オロオロする間にも近付いてきた声と足音は、扉の前で止まった。
「…………」
……ん、あれ?こ、来な、
「ここにいたのね!探したんだから!」
「ひっ」
崩れた壁から来たあああ!?
崩れ落ちた壁の大穴からピョンと飛び込んできた歌姫は、驚きでバランスを崩したを抱きとめると、満面の笑みを浮かべて囁いた。
「ああ、。ずっとそばにいてくれなきゃ、私こまっちゃうわ」
まだ一日と離れていないじゃないですかー!
心の中で突っ込んだ時にはもう、逃げるどころか一分の自由も無い程に抱きしめられていて、
もがくだけ体力の無駄だと悟ってしまったは潔く、力を抜いた。
それでも直立不動の体勢を保てているのだから、ディーヴァの体力はやはり規格外である。
本気を出せば背骨の一本や二本、ポッキリ折ってしまえるだろうから、きっとこれは彼女なりの手加減なのだろう。
だからといってこの苦しさでは、嬉しいなんて全く思えないが。
「目が覚めたらがいないんだもの、びっくりしたわ。
まったくソロモンったら酷いんだから! アンシェルに頼んで連れてきてもらったのよ、」
「……」
「懐かしいわ、この部屋。……そう、サヤ姉さまもここに来ているんですって。
サヤ姉さまは私のたった一人の家族なの、うふふ、も会いたい?」
「……」
「そうだ!歌ったら来てくれるかもしれないわね、ふふ、ふふふっ……」
鈴を転がすような声で喋る喋る。
は黙っているというのに、ディーヴァは独り言のような会話を続けている。
ひとしきりくすくすと笑っていたのがおさまったかと思うと、
今度はその唇からどこまでも響くかのような美しいメロディが流れ出した。
「〜、〜♪」
「…………ぅ、……」
知っている歌だ。彼女がよく、アニメの中で歌っていた。
……どうしてこの歌を聴いていると、頭がくらくらするんだろう。
途端に襲ってきた眠気に眼を瞬かせながら、まともに動かない思考でぼんやりと考える。
この後の展開が確か、何かあった筈だと思い出そうとしているうちにディーヴァの腕の力が弱まり、
ようやく息苦しさから開放された安堵感で、の意識は眠りの淵に沈んでいった。
「小夜姉ちゃん……!?」
少し高い、少年の声が耳に入ってきて、の意識はほんの少し浮上した。
非常に億劫だったがその声が妙に脳裏に引っかかって、ゆるりと目蓋を持ち上げる。
視界にディーヴァの首筋があって、腰の所で抱き寄せられている感覚があった。
何故か片手を取られ引かれているのがダンスのようで奇妙だが、
振り払えない眠気のせいで、そこまで恥ずかしいと感じることはなかった。
「もう、どこ行ってたんだよ! 僕たち、カイ兄ちゃんも、みんな探したんだからね……小夜、姉ちゃん?」
首を捻ると、小走りで近付いてくる男の子の姿が目に入った。
リクだ。ベトナムで一度、声だけ聞いたのを覚えている。
どうやら小夜に良く似た顔のディーヴァを見て姉と勘違いしているようで、
少々怪訝に思いながらも歩み寄ってくるその顔には安堵が広がっていた。
「ふふ、うふふ……」
「あれ、その人は誰? 姉ちゃんの友達?」
……いくら顔が似ているといっても、服の系統や髪の長さまで違うディーヴァと間違えるとは。
そこまで小夜を必死に探していたんだなと、しみじみ考える。
それとも、あのディーヴァの歌に惑わされてしまったんだろうか。
ソラも歌に反応していたみたいだし、そういう、体質とか、あるのかも、知れない。
ああ、それにしても……眠い。
「この子はね、私のなの。とってもおいしいのよ」
「おいしい……?何言って、ひっ」
「あなたも……おいしそうな香りがするわ」
「え、あ……!? ね、姉ちゃんじゃ、な、」
「みぃんな『は駄目』って言うんですもの、私、」
おなかすいちゃった!
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