夕影 10
イタリア旅行も3日目にもなると、そろそろお土産を買う自由時間なるものがやってきた。
今私たちがいるのは、・・・・ええっと、何とかかんとかのガレリア、って所で、
大きなショッピングモールみたいな場所らしい。
頭上の巨大なガラス屋根からの太陽の光が柔らかに降り注ぎ、ガラス越しの青空は明るく透き通っている。
「にゃーあ、にゃあぁ、にゃっにゃ」
「うふふ、ちゃん上手ね!余程気に入ったのかしら?」
私はといえば、苦労して先程やっと言えるようになった猫語(?)に浸っている最中である。
今度猫を見かけたら早速この技で話し掛けてみよう。
「じゃあそろそろ俺達も行くか。自由時間なくなっちゃうし」
「そうね。ゆっくり行きましょう」
二人がゆっくり歩いてくれるお陰で、周りの風景をじっくり堪能できるのはありがたい。
過ぎ行くカップル、お洒落な雑貨店、散歩中の黒猫・・・黒猫?!
ちょ、早速この猫語を披露する時が来たよお母さん!!
「まーま!にゃーにゃぁ!」
「ん?あら本当。よく見つけたわね、ちゃん」
「ちゃんは猫が好きなんだな。・・・あれ?」
ふと歩みを止めたお父さん。
視線の先は向こうのお店の前、猫が通り過ぎた傍らでなにやら揉めている様子の人たちだった。
結構年配の男女(多分夫婦)に同じく年配の男性、子供、その他黒いスーツの男の人がわらわら。
何だか困った様子で話し合っている大人たちのそばで、子供(多分男の子)は暇そうに壁に寄りかかっている。
・・・なんなんだこの怪しい集団は。
「稜?どうしたの?」
「・・・エリ、俺ちょっと行ってくるわ。ここで待ってて」
「え?ちょ、ちょっと稜?」
「すぐに帰ってくるから」
再度、だからここで待ってて、と笑顔で言い残し、お父さんは足早に怪しげな集団の方へ歩いて行ってしまった。
残された私とお母さんが見守る中、彼はその集団の内の、年配の夫婦に何か話し掛けた。
途端にぱっと顔を輝かせる夫婦。お父さんに訴えかけるように何か喋りだしたが、遠すぎて声は聞こえない。
見上げると、お母さんが見ていられないというように不安でそわそわしているのが見えた。
「稜ったら・・・大丈夫なのかしら・・・」
「うー」
今回ばかりはお母さんが心配性だなんて言えない。あの集団、明らかに怪しいんだもん。
傍に子供がいるというのも奇妙な感じだ。・・・あ、さっきの黒猫撫でてる。いいなあ・・・
更に見守っていると、続けてお父さんは黒いスーツの年配の男性にも何か説明し始めた。
初めは不機嫌そうな表情をしていた男性だったが、急に機嫌が良くなったようだ。
はっはっは!と愉快そうに笑い、お父さんの背をばしばし!と叩いた音がこちらにまで聞こえてきた。
・・・何か解決したんだろうか。ならいいんだけど。
・・・十分後。お父さんと怪しげな集団は、まだ何か話し続けている。問題が解決しないのだろうか。
お父さんの様子を見る限りでは、もうそろそろお暇したいような、若干の焦りが出てきたようだ。
その判断は正しい。何故なら先程から、いや最初から不安な顔をしていたお母さんの限界が近いから。
私を安心させるためか、逆に安心するためかベビーカーの傍にしゃがんでいるお母さん。
視線の先にはお父さん。無意識か、ぎゅう、と握り締めた手のひらが痛そうだ。
・・・お母さん、寂しがりやで心配性だから相当辛いんだろうなあ。
「・・・ちゃん」
「う・・・?」
一人、お母さんの心配をしていると、静かに声が掛けられた。
見ると、お母さんは今にも泣き出しそうな顔をしている。
「・・・ちゃん、お父さん、遅いわよね?」
「うー。」
うん、遅いねえ。
「あんな人たちと一緒にいて帰ってこないなんて、怖いわよね?」
「ねー」
だよね、お父さんって凄く勇気あるよね。
「・・・・・すぐに戻ってこないお父さんが、悪いのよね」
「・・・・・・まーま?」
あれ、どうしたんだお母さん。突然立ち上がったりして。
・・・ってええ!もしかして行くの?突入しちゃうのか、あの集団に?!・・・私ごと?
「まー・・・」
カラカラ、と進み始めたベビーカー。
お父さんの言った通りに待ってなくていいの、の意をこめて後ろのお母さんを仰ぎ見たけど・・・
・・・ああ、何か思いつめた表情をしていらっしゃる・・・
まだ十分だよ、もうちょっと待とうよと言いたかったのだがこれは無理だ。
相手が普通の人っぽかったらお母さんもここまで心配しなかったんだろうけど、あの集団じゃあなあ・・・
問題の集団に近づくにつれ、黒服の男達がちらちらとこちらを見ているのがわかる。
加えてその視線を追ったお父さんが私たちに気付き、明らかに「げっ」と戸惑っているのが見えた。
ごめんね、お父さん。来ちゃったよ。いや別に来たくて来た訳じゃないんだけど。
「稜・・・!」
「・・・エリ!なんで・・・さっき待っててって・・・」
「でも、だって、すぐに帰ってこなくて、私、心配で」
「まだ十分じゃないか。まったく心配性だなエリは。お願いだからもうちょっと待っててくれよ」
「・・・うん。ごめん、なさい・・・」
お父さんの言うことも尤もだったけど、しゅんと項垂れたお母さんにはあまりきつく言えないようで、
彼は困ったように苦笑して、お母さんの頭をあやす様に撫でた。同様に私の頭も。
・・・おーいお母さーん。赤ちゃん扱いされてるぞー・・・
* * *
・・・で、仕方なくお父さんが事情を話したところによると。
年配の夫婦は何だか知らないけどお偉いさんで、同じく年配の男性はその接待をしていて、
子供はその人の息子(何で連れて来てるのか謎)、
たくさんの黒いスーツの男の人たちは全員、その人たちの部下だそうで。
夫婦は中国系の人らしくて、接待にイタリア観光を盛り込んだのはいいけど
部下の通訳の人があんまりうまくできなくて、困っていた所だったらしい。(中国語ってそんなに難しいのか…)
お父さんは通訳の仕事をしているから夫婦が言っていることを訳してあげて、
そうしたら通訳がうまく出来なくて落ち込んでいた部下の人や他の部下からもあれもこれも、と質問攻めにあって
帰るに帰れなくなっていたところだった・・・と。
普段のお父さんの仕事は見たこと無かったから今まで実感わかなかったけど(というより知ったのもつい最近)、
こうして目の当たりにしてわかる。お父さんって凄い。
・・・よし!中学で英語に行き詰ったら勉強見てもらおう。
「―――!――、――――?」おお、可愛らしい!君、そちらの方々は?
「あー・・・――。――、――」家族です。妻と、娘でして
遥か未来の予定に勝手にお父さんを組み込み意気込んでいると、黒スーツの年配の男性がお父さんに何か質問した。
お父さんが若干焦りながらもそれに答える・・・と、何やら周りの部下たちも一緒になって騒ぎ出した。
みんなにっこり私たちに微笑みかけ、手を叩いて拍手する人までいる。完全お祭りモードだ。
「―!!――――!」なんと!!ご家族がいらっしゃったのか!
「―――!」素敵な奥さんじゃないですか!
「――――!」娘さん、可愛いっすね!
「うあー・・・?(意味わかんねええ)」
でも今のは何となくお父さんの動作でわかるぞ。彼らに私たちのことを紹介したんだろう多分。
途端にわいわい騒ぎ出した黒スーツの男の人たちがちょっと怖い。・・・あ、お母さん引いてる引いてる。
「りょ、稜・・・この人たち、どうしたの?何て言ってるの?」
「え、いや・・・エリとのこと紹介したら、妙にウケたっぽいって言うか・・・」
「ウケたって・・・何言ったの?」
「妻と娘ですって言っただけ」
言っただけでこんなになるなんてびっくりだよお父さん。
それにしても、さっきから接待されてる夫婦達が置いてきぼりなのではないだろうか。
「・・・(あーあーやっぱり)」
ちら、と老夫婦(+その部下達)を伺うと思った通り、所在無さげに顔を見合わせている。どうするんだこれ。
夫婦の部下はきちっとした雰囲気なんだけど、男性とその部下は何と言うか和気藹々としていて対照的だし、
子供連れなのも変だし・・・やっぱりこんな集団で接待なんて無理なんじゃなかろうか。
ガシッ!
「―――!」すげぇ!
「ふあぅ!?」
この場の誰よりも冷静に状況を推察していただったが、
突然、そう本当に突然にベビーカーが何者かにガシッと掴まれ、思わず奇妙な叫び声を上げてしまった。
「え?・・・あ!ちゃんっ!?」
「へ?!・・・ああ、ボスの息子か・・・」
ベビーカーの中をひょいと覗き込んできたのは金髪が目に眩しい幼い男の子だった。
彼は興味津々に私のことを見つめた後、勢い良く振り返って彼の父に何やら問いかけた。
「――!―、――!―――!」なあなあ!父さん、赤ちゃんだ!赤ちゃんがいる!
「――。――――――、…――?」ああ。驚くといけないから静かにな、…撫でてもよろしいかな?
「――。・・・エリ、ちゃん撫でさせてやってもいいかな?」ええ。
「え、・・・うん。」
会話の内容は何が何だかさっぱりだったが、ともかく私を撫でてもいいか伺ってたようだ。
お母さんが頷くと、目の前の男の子は途端にぱあっと明るく顔を綻ばせた。
はらはらしながら見守るお母さんとは対照的に、彼は私の頭を撫でたり、ほっぺをつついてみたり、手を握ったり。
そして急な展開に若干置いてきぼりの私とお母さんを残して理解不可能な会話は傍でどんどん進み、
放って置かれた老夫婦にもちゃんとした説明がやっとなされ、
気が付いた時には男の子が、彼を呼びに来た父と何やら口論した後、ふてくされて連れて行かれる所だった。
大方、子供がデパートのおもちゃ売り場でよくやる「もっといるー!」的な口論だったのだろう。
彼の足取りは重く、何度もこちらを振り返るものだから、手を振ってみた。
そうしたらあら不思議、あちらも笑顔になって振り返してくれた。今度は足取りも軽く、父より先に駆けて行く。
嬉しいなあ、可愛いなあ。やっぱちっちゃい子はいいねえ・・・
今まさに自分自身がそれ以上にちっちゃくなっているのは棚に上げて一人癒されていると、
大人数の人がごっそり去っていくらか落ち着いたお母さんが、何やら心配そうにお父さんと話していた。
・・・あ!さっきの黒猫、撫でたかったのに忘れてた・・・ショックだああ・・・
「稜、さっき・・・何を渡してたの?」
「ん?ああ、俺の電話番号」
「え!!あんな、・・・怖い人達に?」
「ああ、大丈夫大丈夫。渡したのは会社のと仕事用のだけだから」
「でも、」
「だって断れなかったんだよ。とりあえずいい人っぽかったし」
「とりあえずって・・・大体、どういう人達だったの?あんなに部下の人を連れて・・・子供までいたじゃない」
「あ〜・・・えっと」
「知らないの?」
「いや、聞いた・・・けど」
「じゃあ何?」
「・・・・・・エリには言えない」
それっきり口を割ろうとしないお父さんに、流石におかしいぞ、と感じる。
だってお父さん、隠し事とか意地悪とか滅多にしないはずなのに、今回は頑な過ぎる。
考えられる原因としては、彼らが本当にお母さんに言えない程危険な人達だった、ってぐらいだけど・・・
あれか?実は凶悪な窃盗グループだったとか?それにしてはあの人達、陽気でフレンドリーだったし。
それに、もしそうなら今頃警察に通報してるよね。
あ、それともマフィアのお偉いさんだった、とか。
・・・まさかねえ。いくらイタリアでもそんなホイホイとマフィアに会える筈ないし。
「言えないって・・・どうして?教えてくれたって良いじゃない」
「ええー・・・だってなあ・・・教えたらエリ、大変そうだし」
「・・・?」
怪訝そうな顔をするお母さん。対するお父さんは苦笑して、「さ、残り時間も少ないし、買い物しよっか」と
半ば無理矢理会話を打ち切った。
お土産も買い、十分に観光を満喫した後。
やっぱり気になって仕方なかったらしいお母さんが、しつこく「教えて教えて」と迫った結果、お父さんが折れた。
「仕方ないなあ・・・いいの?後悔しない?怒らない?」
「・・・怒るような内容なの?」
「いや、それはエリ次第だけど。・・・じゃあ」
いよいよ事の真相が!とドキドキしていた私は、次の展開にちょっと!と思わず心の中でツッコミをいれた。
お父さんは内緒話をするようにちょいちょい、とお母さんを手招きし、耳元で小さく囁いたのだ。
いくら至近距離とはいえ、ベビーカーに乗った私は二人の遥か下。・・・聞こえる筈が無い。
ええー!酷い!ずるい!私も聞きたかったのに!何でお母さんだけ?!
「 。」
「・・・・・・・・え?それって、本当に?」
「そうみたい。少なくとも本人はそう言ってたよ」
「・・・嘘」
「本当だって」
しかし、思わぬ不公平に内心不満たらたらな私と状況は対照的とはいえ、
真相を得たのにお母さんはちっとも嬉しそうではなかった。
どちらかと言うと何だかとっても衝撃を受けた表情をしている。・・・答え、なんだったんだろう・・・
「・・・・・」
「・・・エリ?」
「・・・・・」
「エリ?・・・あー・・・だから嫌だったのに・・・」
押し黙ってしまったお母さんに、溜息をつくお父さん。
そんな微妙な空気に私が混ざれる筈も無く、静かになった一行は気まずい雰囲気の中、集合場所へと向かった。
今から考えると、こうなる事がわかってて、お父さんは答えを秘密にしておきたかったんだろうな、とわかる。
だってそのお陰で買い物や観光が楽しく出来たわけだし。
でもお父さん、折れるの早すぎだよ・・・どんだけお母さんに甘いんだよ・・・
はふ、と小さく小さくついた溜息ですら、この静寂の中では聞こえてしまいそうだった。
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